広報委員会 2020-08-20
シリーズ「エスペラントの今」第21号
エスペラントの現状を様々な面からご紹介するシリーズの第21回目をお届けいたします。ご質問、取材問い合わせ等は、当協会広報委員会までお願いします。
■東日本大震災からの復興とエスペラント ―エスペラント語が成功させた支援活動 ―
2011年3月11日の東日本大震災から10年近くが経過しました。復興活動の一環として、岩手県釜石市唐丹小中学校の児童生徒全員を支援する活動にエスペラント語が関わった例を紹介します。この支援に関わった堀泰雄さん(元・世界エスペラント協会理事、元・本会副理事長)にお話を伺いました。
―唐丹希望基金について簡単に教えてください。
東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県で、元高校教師の高舘千枝子さん(朝日新聞デジタル2020年3月17日「ひと」欄で紹介)が始めた支援活動です。彼女は、縁があった唐丹町の子どもたちを支援することを決めました。
―なぜ堀泰雄さんは、それに参加したのですか。
私も元高校教師で、同じように子どもの支援をしたいと思っていましたので、この支援活動の記事(2011年6月28日)を毎日新聞夕刊で読んで、すぐに参加を決めました。
―堀泰雄さんは、この運動の中で中心的な働きをしたと聞いています。
私もはじめは、金銭的な支援だけを考えていましたが、唐丹希望基金が、「小学1年生が中学を卒業する2020年3月まで、9年間支援する」と決めてから、今までの取り組みでは十分ではないという思いから、副代表として運動化を考えました。まず16ページのパンフレットを5000部作りました。パンフレットは、ほかの人に手渡し、訴えなければなりませんが、その時私が頼ったのが、日本や世界のエスペラントの仲間でした。多くの仲間が募金に協力してくれ、実際に唐丹を訪問してくれました。また日本エスペラント大会や、国内外の行事でも、募金活動をしてくれました。
―海外での発信にエスペラント語が活用されたのですね。
私はそれ以前からも、日本の出来事をエスペラントで書いて世界に発信する運動をしてきました。東日本大震災以降も、震災とその後の復興状況について発信を続け、特に、唐丹の子どもたちや学校での取り組みを世界に発信しました。そのような素地があったので、世界のエスペラントの仲間がすぐ反応してくれて、支援もしてくれました。また当時私はフランス滞在中で、日本についての講演活動もしていて、そこで直接に訴えることもできました。
―エスペラント語が、大きな力になったのですね。
その通りです。エスペラント語と、それによる世界の人々との交流がなかったら、唐丹希望基金の運動は、1、2年で消滅していたでしょう。この運動は、支援が順調に進むにつれて、単なる金銭的な支援から、社会を変える運動としての面も持ち始め、子どもたち、その家族、唐丹町、そして支援する側も、大きく成長していったと思います。■
参考:第107回日本エスペラント大会(名古屋)は、初日の9月20日(日)、堀泰雄さん、高舘千枝子さん他のゲストを招き、この支援活動についてのトーク番組を公開番組(無料・要予約)で開催します。