エスペラントは、なによりもまず「ことば」である。 100年をこえる実用の歴史がこのことを証明している。 話し手の多少を問わず、どの民族語も調和のとれた美しい体系であるように、 エスペラントもことばとして調和のとれた体系である。 また、日本語や英語を大切に思う人がたくさんいるのと同じように、 エスペラントを「自分のことば」として大切に思う人もたくさんいる。
しかし、民族語と同じ機能を持った「ことば」であると同時に、 人間が知性の光をあてて磨き上げた国際共通(補助)語として、 ほかにない特徴がエスペラントにはある。
学習者を悩ます不規則や例外ができるかぎり捨てられているので、 比較的短期間の努力で、このことばの本質にいたることができる。
エスペラントを学習し実用する過程で、 私たちは地球的な規模で物事を見る新しい視点を獲得する。
言語と文化の多様性は人類の宝である。 だが、現状はその宝を、戦争や経済的な圧迫と屈従がむしばんでいる。 ほかの民族を自分たちの支配下に置くのではなく、 たがいに尊敬しあうことを目指すのが 21世紀をむかえる私たちの進路だとすれば、 地球的な規模でものごとを見る公平な視点と、 対等なコミュニケーションを可能にする中立言語が不可欠である。 エスペラントが民族語を廃止し言語を統一するもの、という 根拠のない誤解がまだ根強いが、 その反対に、エスペラントは 言語と文化の多様性を断固として守る「橋わたしのことば」である。
(藤巻謙一)
これは 「Revuo Orienta (1997年1月号)」の特集記事からの抜粋です。 コメントや問い合わせは 「日本エスペラント学会 ウェブ管理人」宛でお願いします。
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