「エスペラント / La Revuo Orienta」 1997年1月号掲載

エスペラントはいつごろだれが作ったのか

エスペラントは、 ザメンホフ(Lazaro Ludoviko Zamenhof,1859-1917)によって、 1887年7月に発表された。 ユダヤ人として激しい民族差別に苦しんだ彼にとって、 「諸民族の対等な交流の手段としての中立言語」を作り上げることは、 少年時代から一貫する人生のテーマだった。

試案として発表するだけなら、 ザメンホフ以前にも以後にも「国際語」はいくつも作られている。 そしてそれらのうちのほとんどは、 流れ星のようにどこかへ消えてしまった。

まだ希薄ではあるとはいえ、エスペラントが 地球の陸地表面全体をつつむネットワークに成長したのは、 人生をかけてこのことばを開発し、 発表と同時にこのことばについての著作権を放棄したザメンホフに、 そしてまた「諸民族の平和と共存」という理想を分かち合い、 普及運動に身を投じた先人たちに多くを負っている。

エスペラントのことばとしての基礎は この人たちによって確立された。 もはや どのような強大な力もエスペラントを圧殺することはできない。 しかし、 人類の共通語 --- 人間が対等に意思を疎通するための道具 --- を作るという、 この壮大な実験は、 まだようやくその第2段階に達したばかりでもある。 だから、エスペラントを学び、実用し、普及活動に携わるすべての人が、 今まさにこのことばを作りつつある、とも言えるのである。

(藤巻謙一)


これは 「Revuo Orienta (1997年1月号)」の特集記事からの抜粋です。 コメントや問い合わせは 「日本エスペラント学会 ウェブ管理人」宛でお願いします。

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