最終更新日:2024年4月30日
小坂賞 & 特別学術功労賞
Premio Ossaka & Honorigo de JEI laŭ Akademia Merito
■ 国際語エスペラントの普及・発展およびエスペラントによる学術・文化の創造に対する顕彰です。
■小坂賞 (Premio Ossaka)
1938年に小坂狷二(おさかけんじ)生誕50年を機会に、同氏の日本エスペラント運動に対する功績を記念して本賞を制定。翌年より授賞。
1987年に本賞を財団法人日本エスペラント学会の賞として再制定。翌年より授賞。 現在は日本エスペラント協会にて賞の候補者への推薦を公募し、同協会内の小坂賞委員会が審査の上で授賞を決定する。毎年の日本エスペラント大会で授与する。
■小坂狷二(おさかけんじ) (1888-06-28〜1969-08-01)
小坂狷二は、「日本のエスペラント運動の父」とも呼ばれ、約60年間にわたり日本のエスペラント界をひっぱってきた人です。1906年に二葉亭四迷の『世界語』を知り、同年結成の日本エスペラント協会(JEA)に入りました。その後、JEAが立ちゆかなくなり、1919年に新たに結成された日本エスペラント学会(JEI)-2012年に「日本エスペラント協会」に改名ーで小坂はさらに活躍の幅を広げました。
その後JEIの機関誌にエスペラント語学記事を執筆し、学習書を出版するとともに、日本文学のエスペラント訳にも取り組みました。そして40歳を迎えた1938年の第26回日本エスペラント大会で、顕著な活動をしたエスペランチストに贈られる賞に「小坂賞」の名前が与えられました。
小坂自身はその後も活動を続け、1958年には国際的なエスペラント・アカデミー会員に推挙されています。
なお、小坂狷二は職業としては鉄道の客車や貨車に関する技術者で、鉄道省、民間企業勤務を経て、晩年は神奈川大学工学部で教鞭をとりました。
(リンク:「小坂狷二が遺したもの」(後藤斉さんによるPDFファイル, 1.5メガバイト)
■小坂賞・年表(2024年4月30日更新)
回 | 年 | 受賞者 | 功績 | 備考 |
1938 | 【小坂賞の設定】 | 小坂狷二の人物紹介 | ||
1 | 1939 | 野原 休一 | 『日本書記』翻訳 | エス訳標題:”Kroniko Japana”,第1巻,第2巻はウェブ掲載→: Biblioteko Sakura |
2 | 1940 | 城戸崎 益敏 | 『エスペラント第一歩』著述 | |
3 | 1941 | 藤間 常太郎 | 『日本国際語思想史』著述 | |
4 | 1948 | 井上 万寿蔵 長谷川 理衛 |
『日本国憲法』完訳 | |
5 | 1949 | 栗栖 継 | ジャーナリズムを通しての普及宣伝 | |
6 | 1950 | 伊東 三郎 | 『エスペラントの父ザメンホフ』著述 | 「岩波新書(青版)」として刊行 |
7 | 1951 | 和田 美樹子 碧川 澄子 |
療養者エスペラント運動への貢献 | |
8 | 1953 | 岡 一太 | 児童文学の分野でのエスペラント普及に努力 | 戯曲『緑の星の下に』を執筆 |
9 | 1956 | 高杉 一郎 | 『盲目の詩人エロシェンコ』著述その他による普及活動 | 筆名。本名は小川五郎 |
10 | 1957 | 丹羽 正久 | 地方活動(名古屋地方)への貢献 | |
11 | 1958 | 植田 半次 | 地方運動(九州地方)への貢献 | 福岡県在住 |
12 | 1961 | 石黒 彰彦 | 家族ぐるみの運動、文学作品翻訳と平和運動貢献 | なみ子夫人は1969年に小坂賞受賞 |
13 | 1962 | 和田 幸太郎 | 世界救世教におけるエスペラント普及活動 | |
14 | 1963 | 松原 言登彦 | 天母学院の出版活動と通信講座による貢献 | |
15 | 1966 | 出口 京太郎 | 『エスペラント国周遊記』著述 | 「アサヒ・アドベンチャー・シリーズ」として刊行 |
16 | 1969 | 石黒 なみ子 | 『エスペラントの世界』著述 | |
17 | 1971 | 松葉 菊延 | 著述及び教育による普及活動、特に『生命を探る』の翻訳 | (訳書)原著:江上不二夫、エス訳標題:”La serĉado de la vivo” |
18 | 1972 | 川村 信一郎 | 農業化学分野での著述によるエスペラント活動 | |
19 | 1973 | 宮本 正男 | 各種著述、特に関西地区における組織活動による貢献 | 人物紹介ページ(エス文) |
20 | 1974 | 大島 義夫 | “Nova Rondo” 誌発行など | |
21 | 1976 | 三宅 史平 | 日本エスペラント学会専務理事として学会運営と普及活動に貢献 | 専務理事は1947-1971 |
22 | 1977 | いとう かんじ | 『ザメンホフ』等の著述 | 人物紹介ページ(エス文) |
23 | 1978 | 斎藤 英三 | “L’omnibuso”誌発行、各種書籍出版による貢献 | “L’omnibuso”は1964年創刊 |
24 | 1979 | 福田 正男 | 『八か国語辞典』などの著述、”Samideano” 誌 の発行など | |
25 | 1980 | 広島・長崎を世界に贈るE-istoの会 | 原爆記念写真集『広島・長崎』エスペラント版の発行 | エス訳標題”HIROSIMA-NAGASAKI, Bilda dokumento pri la Atombombado” |
1987 | 【小坂賞を財団法人日本エスペラント学会の賞として設定】 | |||
26 | 1988 | 松本 健一 | “Internacia Komerca-Ekonomia Vortaro” の日本語追加版の刊行 | |
27 | 1989 | 阪 直 | “La Revuo Orienta” 誌の『やさしい作文』による長年の学習指導 | ご本人のサイト |
28 | 1990 | 野村 理兵衛 | “Zamenhofa Ekzemplaro” 著述 | |
29 | 1991 | 田中 良克 | EKAROJ における活動、『エスペラントの世界』誌編集 | EKAROJ = Esperanta Klubo de Amatora Radio en Japanio |
30 | 1992 | 土居 智江子 土居 敬和 |
地方会の育成、日本大会開催、図書出版、”Esperanto en Azio” 誌編集 | (地方会=横浜エスペラント会) |
31 | 1993 | 坂本 昭二 | 入門講習書の著述、エスペラント図書出版活動 | 講習書:”La Teksto Unua”, “La Teksto Dua” |
32 | 1994 | 森 真吾 | Spomenka Štimecの本の翻訳と、地方における国際交流の実践と紹介 | (地方=福岡県) |
33 | 1995 | 水野 義明 | 多くの著述、翻訳によりエスペラントの意義を内外に知らせた功績 | |
34 | 1996 | 山添 三郎 | 医学用語集の執筆、医学分野におけるエスペラントの実践活動 | |
35 | 1997 | 小林 司 萩原 洋子 |
企画力に富む著述、出版活動によるエスペラント文化の向上に寄与 | |
36 | 1998 | 藤巻 謙一 | 通信講座教材の開発と永年にわたる指導及びその他の著述活動 | ご本人(による通信講座)のサイト |
37 | 1999 | 竹内 義一 | アジアにおけるエスペラント運動に対する多大の寄与 | 人物紹介のページ |
38 | 2000 | 小西 岳 | 日本の文芸作品・歌曲のエスペラントへの翻訳活動 | 作品紹介のページ |
39 | 2001 | 野村 忠綱 | 『エスペラント生物学用語集』の編集と、熊本地区における活動 | |
40 | 2002 | 松原 八郎 | 『エスペラントつながり辞典(AからKまで)』の刊行と執筆継続 | |
41 | 2003 | 山野 敏夫 | エスペラント語翻訳支援ソフト、エスペラント語読み上げソフトなどの開発 | ご本人のサイト |
42 | 2004 | 堀 泰雄 | KAEMを中心としたアジアでの活動、および”Raportoj el Japanio N-ro.1-7″ での日本紹介 | KAEM = Komisiono de la Azia Esperanto-Movado de UEA |
43 | 2005 | ヤマサキ セイコー | 著述・講習およびJEI、UEA、SATを通じてのエスペラントの発展への貢献 | |
44 | 2006 | 日本エスペラント学会 エスペラント日本語辞典編集委員会 | 高度な学習辞典『エスペラント日本語辞典』の編集・発行 | 辞典の紹介(編集委員10名の名簿を含む) |
45 | 2007 | 三好 鋭郎 | 欧州におけるエスペラントの広報活動を中心として、普及活動へ貢献 | |
46 | 2008 | 藤本 達生 | エスペラント学習書執筆と実践力養成指導 | |
46 | 2008 | 峰 芳隆 | 宮沢賢治とエロシェンコの研究およびエスペラント図書と雑誌の編集 | 編集したエロシェンコ選集 |
47 | 2009 | 東海林 敬子 | 出版事業「リブロテーコ東京」を自ら起し、25年にわたり良質のエスペラント図書を世に送り出してきたこと。その他、ルドビキート刊「ザメンホフ著作全集」の出版、普及に協力、長年にわたる西日暮里エスペラントクラブの主宰、第92回世界エスペラント大会(横浜)成功への貢献。 | |
48 | 2010 | 忍岡 守隆 忍岡 妙子 |
広島では10年間の市民活動。“Vojaĝo en Hirosima”(「ヒロシマの旅」エスペラント版)3000部を世界に普及。広島を訪れる外国人エスペランチストの案内、フランスや台湾、韓国などへ訪問しエスペラントで連帯する活動、スロベニアとスイスでの「原爆展」開催への貢献。 | |
49 | 2011 | 山田 義 | エスペラント歌集の編集および出版により、エスペラント界の文化的水準の向上に貢献したこと。また八ヶ岳エスペラント館の管理に力を注ぎ、利用者の便宜に資したこと。 | |
50 | 2012 | 星田 淳 | 長年にわたり北海道のエスペラント運動へ貢献し、『アイヌ神謡集』、『よみがえれ、えりもの森』などのエスペラント共同翻訳を指導した。 | |
51 | 2013 | 栗田 公明 | 1994年に八ヶ岳エスペラント館が創設されて以来、長年にわたって運営委員を務め、同館で様々な活動を展開、現在の運営、企画広報、文化交流の基盤を築くことに貢献した。 | |
52 | 2014 | 後藤斉 (故)柴田巌 |
『日本エスペラント運動人名事典』(2013 年刊行)の編集 | 後藤斉のサイト |
53 | 2015 | 江川 治邦 | 和歌山市を中心に、エスペラントとユネスコ活動を通じて、国際交流と国際理解推進に貢献した。また絵本『華岡青洲』、『南方熊楠』、『稲むらの火―浜口梧陵のはなし』をエスペラントに翻訳し、地域活動とエスペラント文化に貢献した。 | |
54 | 2016 | グループ NUN-vortoj 広高正昭 柴山純一 山川修一 |
現代生活に関わる様々な用語のエスペラント訳や表現を追及し提案する活動を行い、その成果をウエブサイトで公開。「日エス環境問題用語集」と「日本国憲法(新訳)」を出版。 | NUN-vortoj |
55 | 2017 | 島谷 剛 | 狂言や今昔物語集など日本の古典文学の翻訳と紹介 | |
56 | 2018 | 原田 英樹 原田 扶佐子 |
岡山市での普及活動、日本大会や学校クラブ活動への貢献 | |
57 | 2019 | 田平 正子 | 海外からのエスペランチスト多数受け入れ、JEI刊行物の校正 | |
58 | 2020 | 佐々木 照央 | 日本・中国の大学でのエスペラント講座 日本・中国の古典文学の翻訳(奥の細道、荀子、荘子、墨子など) |
佐々木照央作品 |
59 | 2021 | やましたとしひろ | オンライン活動、韓国エスペランティストとの交流、日本文学の翻訳など多方面にわたる活動 | 受賞者ウェブサイト |
60 | 2022 | 山川 修一 | エスペラント通訳技術の向上、各種講師、学習相談、勉強会主催、用語集出版等多方面にわたる貢献 | |
61 | 2023 | 福本 博次 | La Movado誌、La Revuo Orienta誌、『日本語エスペラント辞典』の電子化 | |
62 | 2024 | 山口 眞一 | 長年の仏教エスペランチスト連盟での関連の文献の整備、著作や翻訳、名古屋エスペラントセンターや第107回日本エスペラント大会の実行委員長での貢献 | |
回 | 年 | 受賞者 | 功績 | 備考 |
■日本エスペラント協会 特別学術功労賞 (Honorigo de JEI laŭ Akademia Merito)
1983年に財団法人日本エスペラント学会がエスペラントに関する学術的な功績が特別に大きい事績に対する賞として制定。随時、本会の理事会が授賞を決定する。
■特別学術功労賞・年表
回 | 年 | 受賞者 | 功績 | 備考 |
1 | 1983 | 宮本 正男 | 『日本語エスペラント辞典』の編集 | 辞典の紹介 |
2 | 1998 | いとう かんじ (筆名:Ludovikito) | ザメンホフ著作全集 (“Plena Verkaro de Zamenhof”) の編集と刊行 | 人物紹介ページ(エス文) |
「備考」欄は、本サイト編集者の独自見解によります)。
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