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感想
Impresoj



N.S.
合唱団に参加して
 この種の大会へは昨年の亀岡が初参加でした。
 「開会式でベートヴェンの "Al la Gxojo" を合唱団員には合唱の好きな人なら参加できます」という山田義さんからの呼びかけについ誘われてその1員に加わることとなりました。
 第1回目の合同練習は前夜の7時からあったのですが、その終わりのところで指揮者の山田さんから「今日の練習に参加していない人が2回目の練習にこられても全く分け隔てなく迎え入れてください」という趣旨の言い添えがありました。
 当日の11時から第2回目の練習が行われました。ピアノ伴奏にはその道の超一流コロベイニコフさんが加わりました。テンポが速くてびっくりしたり戸惑ったりでした。
 さて本番。私はテノールを担当したのですが終始上がりっぱなしでしたし全盲である性もあってか、構成の規模やメンバーについてはほとんど覚えていません。ただ、私の後ろで安定さと優しさたっぷりで同じパートを歌っていらした、確か小西さんといわれた方が印象的でした。
  誰でも参加できるよう、その前提で最高のレベルを目指すよう。この二つの思いに貫かれた運営を感じました。そして、それは私の好みとぴったりでした。出来栄えのほどは分かりませんが、私にとっては満足度の高い、大変後味の良い参加でした。多くの人に色々お世話になり本当に有難うございました。


T.M.(E暦 44年・大会参加 30回)
 公開番組があって良かった。知人だけでなく、過去エスペラントと繋がりのある人達や元エスペラントクラブの生徒を誘う事ができ。アンドレイ君のピアノ演奏会は、再びエスペラントにつなげるよすがとなり、アンドレイ君をE界に導いてくれた大学とシロ教授・招待実行委員会に心から感謝。    
 JKはエスペラントの最大行事で、外部に触れる機会が大きい。この時、E文の中に、日本語では訓令式が、と云う考えでやっていると、Eの力不足を示したり、誤った知識を与えたりする。たとえ相手の方を尊重する気持ちがあったとしても、E文しか読んでいないと、NISIさんは、自然に〔にすぃさん〕となってしまう。E表記でされることが、行き着く所である〔E文の中で日本語のローマ字表記を使う意味はない。〕から、訓令・ヘボン主義者の個人の名は、本人の意思を尊重してそのようにする事にして、少なくとも学会の関る発行物は、90回大本大会でなされたようにEを大事に使って頂きたいために、地方での理解も望みます。
 会場費の設定条件が特殊であった。5月東海大会開催時に、文化団体と一般の業者では販売の意味を考え、使用料の条件を別にされるよう会館に願い出たが間に合わなかった。今後はこの様な場合、エスペラントにとって本を売ること事態が文化活動であるなどの説明をして、施設側の理解を得る努力をして、大っぴらに販売が出来る条件にしておいて頂きたい。
 初め、参加者200人と聞いていたから、人探しなども難しくないと思った。しかし、500人もの立派な大会になったので、これ程の規模なら、UKの様に受付の近くに
Mesa,・Tabulo があっても良いかと。
 名札の回収される事を知らない人が少なくなかった。その内、常識になるにしても、渡す時に新しそうな人には、或いは立て札を立てて回収を知らせたら後から返して下さい、と言うより伝わり易いと思いました。
 参加費  かなりな額であるから、初回参加者に限って、中学生並に1000円か1500円で良い様にして欲しいと池田JK以降、提案してきた。
  遠足などの遅刻の扱い  カーナビの案内が何度も消えて行き過ぎ、遅刻が分ったので、知らせなくてはと、集合時刻前と後と、携帯電話無く、こちらも大変でしたが、伝えられなかったので、後は時刻に出発、とあるのを頼みにしたが、親切に待たれたと聞きました。迷惑そのもので、消え入りたい思いでありましたが、この様な場合は、連絡が無ければ時間厳守でやって頂いて構わないと思います。


A.E.
 心配していた颱風23号の爪痕もなく、快晴に恵まれて、日本大会は幕を開けました。22日午後1時、犬山駅前に集合した大会遠足の参加者は、2台のバスに分乗して、八百津町の人道の丘公園に建つ杉原千畝記念館へ行きました。柔らかい秋の陽射しの中、モニュメントから流れる美しいパイプオルガンの音に耳を傾け、記念撮影の後、記念館の見学とビデオを見ながら館員のお話を聞きました。1940年、旧リトアニア共和国日本領事館の領事代理だった杉原千畝が、人道的な立場からユダヤ人にビザを発給し、6000人の生命を救った話は広く知られています。世界の各地から訪れる人も多いと聞くこの記念館を見学できて、貴重な思い出が出来ました。
 大会会場では、世界大会や日本大会でお友達になった方々に再会し、それは楽しいひとときでした。講演会、分科会、コンサートと、プログラムを参考に終日2階から4階まで歩き回りました。役に立つ情報、考えさせられる問題、楽しい演奏などなど、今思い出しても笑いがこぼれます。
 24日は早起きして早朝散歩に参加し、古い街道筋に今も残る商家や蔵造りの家を見たり、寺町を歩きました。日曜日の朝6時にがやがやと大勢で話しながら通っては、ゆっくり朝寝を楽しむ町の方々のお邪魔になるのではないかと案じながらも、1時間ほどの散歩は手頃で、気分壮快でした。ホテルに着いてそのまま食堂に直行というのも、主婦にとっては何と贅沢!9時からの「外国人と話そう」では、アンドレイさんのグループになりました。普段着の彼は気さくな好青年で、学校のこと、ピアノのこと、法科大学のこと、その他いろいろ楽しいお話を聞きました。彼はきっと凄い集中力で、何でも出来てしまう人なのだろうと思いました。話しながら良く動くその手にふと目がいきました。それはさすがにピアノを弾き込んだ指でした。
 あっという間に終わった3日間でした。準備から始まって、大会中も細かく気を配って下さった関係者の方々に、厚く御礼を申し上げます。どうもお疲れさまでした。


A.S.
 お疲れさまでした。宇治城陽エスペラント会(京都府)の相川です。
 何人かの方から日本大会のようすを聞きました。中身の充実した、国際色豊かな大会だったようですね。実参加から不在参加に切り替えた人もあったと聞きましたが、わたしの場合は、まったくの個人的な事情で、会場に行けませんでした。大会の前の週の土・日に仕事が入ってしまったため、他の予定が玉突き式にずれて、体が空かなかったのです。ぜひ出席したい分科会もいくつかあったのですが、残念です。


K.H.
 心地のよい大会でした。
 大会担当の方々に感謝。
 この一言に尽きるのではないでしょうか。
 初めての日本大会参加でした。最初は不在参加の予定でしたが。だんだん実参加に傾き始めて。とうとう夫まで動かしました。犬山は始めてだらけの2人を暖かく包んでくれました。もちろん関係の方々の疲れをいとわないあまたのお働きの末のことでしょうが。何しろ挨拶も全然出来ない夫さえ楽しかったのですから、私のうれしさを皆さん推し量ってほしいです。エスペラントの効用を夫も知りさらに犬山のとりこになった中年夫婦です。
 ライン川に一目ぼれしています、宿をユースホステルにしたのは正解でした。まだまだ若いつもりの2人には宿もかなうものでしたし。いいとこづくしでした。ただお役の方々の疲れは当方には何も出来ません、一日も早くお疲れが過ぎ去るのを 遠方よりお祈り申し上げます。


S.Z.
      Estis kortusxe revidi s-ron Mituisi Kiyosi sur radcxaro.  Li estis mia gvidanto en mia juneco, 1970-aj jaroj.


一般参加・K.S.
「アンドレイ・コロベイニコフピアノ演奏会」について
 青年の力強いタッチが心地よく響いた。演奏会では、ただ聞く事が多いが、話をしてくれたのが、近親感を感じとても良かった。


S.H.(72才、エス歴40年、日本大会参加回数=20回?)
 分科会を3つ参加し、それぞれにとても良かったです。
 JESA(科学者):会誌が出来上がってそれを皆さんに配る、というのが定石ですが、今回はその記事がそっくり議題になるという理想的な展開ができました。
 パワーポイント教材開発:s-ino矢崎の準備がよく、今すぐにも使いたい教材がありました。この教材は、作ってもらう、というよりも、作り方や材料を教わって自分が作る、というもので、エスペランチストには、向いていると思います。
 講師の会:「慣用語はエスペラントでどう扱うか」考えたことがなかったので、慣用語が民族表現を引きずっていることを指摘されて、慣用語句で恐れ入ること不要!と気付き、気が楽になった。
 早朝散歩:これがなかったら、犬山を一生知らずに素通りしていたところでした。
 アンドレイ夜話:天才音楽家のエスペラント弾き語り、なんて場面をみれるのは夢みたいでした。


S.H.
Estimataj organizantoj,
Koran dankon pro via laboro kaj zorgo por ni.
Laux mia impreso la kongreso estis tute sukcesa kaj tre placxa al cxiuj partoprenantoj.
"Salono por komencantoj": Estus pli bone, ke cxiuj cxeestintoj mem skribas, sed miaj samgrupanoj havas nek tempon nek
kuragxon, do mi anstatauxe raportas iliajn impresojn. Tri cxeestintoj rakontis jene. De la prelegoj/instruadoj ili
ricevis stimulon kaj ion utilan, interalie de s-ino Jamada. Laux ili tio eble dependis de sxia tre sxatata personeco.
(Por E-komencantoj estus gravaj atmosfero de preleganto/gvidanto kaj prononco krom de Esperanto ankaux de la japana,
laux mi.)  La tri bedauxris, ke ne okazis modela (simpla) konversacio inter alilandaj cxeestantoj kaj  preleganto. Unu
el ili, interesite de la prezentado de s-ro Isxikauxa, volas provi "Kurso de Esperanto"-n.
"Kunveno de kursogvidantoj": Mia simplacxa kapo ne kapablis kompreni, kiel rilatas la prelego de s-ro Usui al nia
komuna celo. Ne temas pri lia tezo. Gxi estas suficxe interesa kaj diskutinda, do gxi devus esti okazinta alikadre.
Estas domagxe, ke ni ne povis plene utiligi karan tempon por intersxangxi ideojn kaj spertojn por kolekti lernontojn kaj
por efike dauxrigi la kurson.
La prezentado de Litovio multe allogis nin al la venonta UK.

Aldone: La kongresejo estis tre bona, kaj la situoj de gxi kaj la hoteloj estis favoraj por la kongresanoj. La urbo kaj
la kastelo donis al ni agrablajn impresojn.
Ankorauxfoje, koran dankon!


K.T.
 私は67歳の視覚障害者ですが10月22日からのこの大会に参加して来ました。水戸からの参加は私一人でしたので、ちょっと不安でしたが、たっぷり時間をとって一人で会場まで行くことにしました。東京駅も名古屋駅も修学旅行生などがいたせいか、それは大変な混雑でした。しかし、駅員さんをはじめ多くの人たちのご援助のお蔭で無事に宿舎まで着くことができました。最近は恐ろしいニュースの多い毎日なのに人の心の暖かさに触れられて、とても幸せでした。
 今度の大会では、私達、たった5人のために点字の資料も墨字同様に用意されてあり、それも大変詳しいものでした。時間を追ってのプログラムの他に各々の分科会、行事の説明、参加者名簿など世界大会資料にも勝る立派なものでした。点訳や印刷など多くの人の厚意が感じられ、本当に感謝に絶えません。
 また、アンドレイ・コロベイニコフさんのピアノ演奏がありましたがこれもすばらしいものでした、指のタッチのテクニックや身体の動きは残念ながら見えませんでしたがピアノの音の強弱や音色など、全身が耳になったかのように感じられました。私はピアノ演奏などを直に聞く機会はそれほどないので評価をする能力はありませんがとにかくあの迫力には感動しました。それも18歳のまだ勉強中の青年とうかがいびっくりしました。
 いつも大会で思うことですが障害者の参加は少数の視覚障害者ぐらいで松葉杖や車椅子使用の肢体不自由者の参加が見られないように思われます。パラリンピックのあのすばらしい活躍を見る時、彼らの中にもエスペランチストも少しはおり、参加しても良いのではないかなと思います。将来は他の障害者も同時に参加できるように、お互いに啓蒙し、配慮していきたいものです。


I.Z.
 感想文ということではなく気づいたことを二つ・・
 ヤクボさんの「フランダースの犬」とアンドレイのピアノ演奏会が重なったので残念だった。
 注文をした弁当は立派過ぎて年寄りには食べきれないので地下や1階のレストランで食べたがサンドイッチなど軽いものがあったら とおもった。


K.K.
Mirinde bela kaj enhavoricxa kongreso!
La kongresejo Internacia Turisma Centro "FREUDE" (mi ne scias, kial oni nomis gxin "FREUDE") situas en tre oportuna loko, tuj proksime de la Stacio Inuyama, de kiu kuras bonordaj stratoj.  Kaj hoteloj suficxas relative proksime de la Stacio.  La urbo Inuyama kun 75,000 logxantoj (laux la hejmpagxo) estas ne tiel granda, sed tre agrabla por la logxantoj, sxajnas al mi.
Gxuste tie, en la domego FREUDE ni korusis "Al la Gxojo"  cxe la malferma ceremonio.  Tio restas en mia koro kiel neforgesebla karmemoro.  Al la organizantoj, kiuj planis tiel emocian programeron mi esprimas elkoran respekton.
Okazigi la Kongreson en la tagoj de Inuyama Festo (vespere mi spektis la feston), inviti la ambasadoron de Litovio, en kiu okazos UK en la venonta jaro, cxio estis plene oportuna, mi opinias.
Denove mi esprimas profundan dankon al cxiuj organizantoj kaj laborantoj.


Y.S.(エス歴59年,大会参加回数わかりません)
 たいへん良い大会でした。わたくしには,こまったことは,コロベイニコフさんの演奏会とヤクヴォ・スフラムさんの講演会が重なって半分ずつ聞かなくてはならなかったことです。しかしこれは大きな大会をやるとき避けられないことです。


N.T.
 犬山市が桃太郎と関係があるとは知らなかった。ある小学校の先生は、桃太郎は和歌山県と関係があるといっていたから、犬山との関係なんぞはもちろん知らないだろう。大会には合唱隊が花を添えてくれていた。それにアンドレイのピアノ。音楽に関係した仕事をして居られる方が事務局長をしている催しらしい、プログラムや演出である。
 早朝散策では犬山市と姉妹関係にあるカリフォルニアの都市の市長さん母子、市会議員と一緒だった。ここはブロークンイングリッシュの活躍するところと市長さんの娘さんにエスペラントのことを聞く。彼女は知らない。しかし、そばの市会議員は「Langage」と答えてくれた。そして「どれくらいの人間がやっているのかね」と聞く。「ここに参加している男女のほとんどはエスペランチストさ」というと目を丸くしていた。こんな思い出も第91回日本大会は作ってくれた。
 皆さんご苦労さんでした。


S.I.
 遠い所から多くの大会参加者にビックリしました。そして素晴らしい大会に参加ができて感謝しております。私たち、初めての参加で、一つ一つの番組にも感激しました。
 昼食を頂いているとき、話しかけた京都の人が「Rondo SONKISOJ の名前は知っていた」と言われ舞い上がるほど嬉しくなってしまいました。日々努力なしの私たちにとって、これ以上の激励となりました また、通信教育の藤巻さんにも是非お目にかかりたいという実現もかない、幸せでした。
 大会後は、デービス市のヘンリーさんと SONKISOJ の仲間と夕食会を共にしました。片言のエスペラントで話ができ、エスペラントの素晴らしさに感動しました。これも長谷川勉さんのお陰と、感謝しています。
 私は少し体調をくずし、充分手伝う事ができなかったことが心残りです。


紙芝居の感想
G.Y.
 今回初めて参加の全国大会で Arta Kunveno に出演することになり、ちょっと驚きましたが、3人一緒なので大丈夫だと思いました。
 私の場合は、エスペラントを学び初めて1年ほどで、音読もわりに慣れていましたが、難しい単語や数字も入っていたので、ひたすら何度も練習しました。会話と語りの部分の違いがはっきりすると、もっと良いと皆さんから助言をいただき、私なりに音程を変えて読むようにしました。本番では3人ともほぼいつもどおりの感じで発表でき、好評だったということで、ほっとするとともに練習した甲斐があったと思いました。貴重な体験をさせてもらい、今後の学習の励みになりました。


DUONG Tu Kieu
En la 22a -24a de oktobro, 2004, mi partoprenis en la 91a Japana kongreso en Inuyama.
Estis unuafoje por mi, pro tio cxio sxajnis al mi mirinda. En la unua tago, kiam mi ekskursis al memordomo de S-ro Sugihara Tiune, mi bedauxris ke mi ne bone komprenas la japanan lingvon. Ekstere, mi interesigxis pri la natura muziko el la specialaj tuboj de la monumento. Interne, leginte la libron "Decido pro amo", mi ekkonis pri la historio de la vizitata domo. S-ro Sugihara Tinue kuragxe donacis multajn vizojn al judoj kaj dank' al tio, miloj da judoj povis reveni al sia patrujo.
Revenante al kongresejo por cxeesti la kunsidon "Azia Agado", mi profitis kelkaj liberajn minutojn por viziti la Libro-Servon. Subite, multaj vizitantoj alparolis al mi kiam ili eksciis ke mi alvenis el Vjetnamio. Ne nur ili varme bonvenigis min sed ankaux vokis aliajn: "Venu, venu, f-ino Kieu venis!". Unu el ili sciigis al mi, ke mi gastos cxe privataj domoj, kiuj akceptos min. Tiam mi estis mirkonsternita pro ilia fervora gastigado. Cxar mi ne povas memori cxiujn, mi nur povas mencii ges-rojn ISINO, kiuj estis miaj gastigantoj post la kongreso. Proksimigxis tempo de kunsido, mi devis forlasi kun bedauxro.
Cxe la kunsido, s-ino Syozi keiko raportis pri E-movado en Azio kaj petis ke cxiuj partoprenantoj parolu pri sia lando. Vjetnamio estis unua vico, mi serioze maltrankviligxis kvankam mi jam preparis la paroladon, sed antaux multaj cxeestantoj, mi ne povis klare esprimi, mi nur sinprezentis parolante kelke da frazoj pri E-movado en Vjetnamio kaj precipitis min,  ankoraux tremetantan, en la segxon.
Sekvantan tagon, la oficiala malfermo de la Kongreso solene okazis. Kiel delegito el Vjetnamio, mi neatendite ricevis tiel gravan bonvenigadon. Sidante sur la rezervita segxo mi pensis ke mi neniam supozis igxi tiel honora gasto cxe tia solena kongreso. La kongreso malfermis en varmega aero kaj la kongreso estis enhavricxa kun multe da fakkunsidoj.
Sekvantan tagon, pro mia malrapideco, mi ne povis cxeesti la kunsidon de babilado kun eksterlandanoj, sed mi partoprenis la fakkunsidon de "Virina Esperanto Asocio". Tie oni diskutis ne nur pri virinoj sed ankaux pri aliaj temoj. Mi rakontis pri edukado en Vjetnamio. Bedauxrinde ke plej parte da cxeestantoj ne povis esprimi siajn pensojn pro manko de tempo.
Post tagmangxo, dauxris aliaj fakkunsidoj.
Dum tagmangxo, mia vjetnama tradicia kostumo altiris atenton de multaj personoj kiuj alparolis al mi. Pro varma gastemeco de japanaj esperantistoj sencxese demandis al mi, precipe pri iliaj vjetnamaj amikoj. Mi gxoje respondis al cxiuj. Mi ankaux cxeestis la vesperan koncerton. S-ro Andrei mirigis cxiujn cxeestantojn pro sia talento. Li ludis pianon tiel lerte ke li ricevis sencxesajn aplauxdojn. Estis memorinda tago! Posttagmeze la solena fermo okazis en entuziasma adiauxo.
Mi estis tre ege felicxa cxeesti en tia kongreso kaj kore dankas al kongresanoj, kun kiuj mi agrable renkontigxis kaj interparolis.


Povilas
Tial nur kelkajn frazojn pri miaj impresoj:
Mi estis gxoja pro ebleco viziti Vian kongreson kaj Japanion gxenerale, kion mi faris unuan fojon. Mi esperas, ke kune kun Litovia ambasadoro ni sukcesis iomete konatigi japanajn esperantistojn pri nia lando. Mi estis mirigita trovi en Japanio tre fortan, solidan kaj imponan Esperanto-movadon kaj ege altan organizan nivelon de la kongreso. Sed tio, kio min la plej impresis, estas, ke japanaj esperantistoj (same kiel japanoj gxenerale) estas neimageble helpemaj, bonvolemaj kaj gastemaj homoj. Cxie mi sentis zorgon pri mi, pretecon helpi, solvi cxiujn aperintajn problemojn. Tion ne eblas forgesi. Dankon al Vi cxiuj kaj bonvenon al Litovio sekvontjare por la jubilea la 90-a UK.


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